何かを始めるとき、誰にでも必ずビギナーの時期があります。
私は大いにビギナーをやっていいと思っています。
ちょっとやそっと経験があるからという理由で上から目線で言われることほどウザいことはありません。
実際に私も能書き垂れ野郎のお話は聞きませんし。
大事なのは経験をして物事の種別を識別できるようになることです。
ビギナーを脱する唯一の方法は経験者の話を聞くことよりも山に行くことです。場数をこなすことです。
そうすると「200回テント泊をした私が選ぶ北アルプスの気持ちのいいテントサイト7選」で書いたような経験値が増えます。
この記事ではちょっと私の遍歴を書き連ねてみましょう。
もくじ
初めての登山は学校の行事で登らされた標高1100mの里山
中学生始めの頃、陸奥国北部のある標高1100mほどの山に登らされました。
学年全体でです。
個人的にはイヤでしたね。
当時は身長145cmに対し体重は60kgオーバーと肥満体の体でした。
息はゼェー、ゼェー切れるし、頂上に到達する頃には後ろから数えたほうが早いくらい歩くのが遅かったと記憶しています。
登ったというより「強制的にやらされた感」が強いですね。
今でも思い出すと忌々しい気持ちになります。
(これで登山、嫌いになる子、多いと思うよ〜)
次の本格的な登山は大人になってからの富士山登山
次の本格登山はいきなり富士山の登山でした。
一番アプローチしやすい富士宮ルートからち3時間程度で登りました。
服装はスニーカーとジャージです。
ヤバいですよね?
この格好。
無知だからできたことです。
下山時、雹が降りました。
急いで下りましたよ。
1時間で富士宮登山口まで走り切りました。
(これ、下手したら膝壊しちゃうよ?)
今、考えると高山病という概念すらありませんでしたね。
無知ってある意味強みにもなります。
この頃には基礎体力が平均的な日本人男性よりもありましから、力任せにやっていたような気がします。
(とは言っても体力・筋力共に今の方が更に上なんですけどね)
以降、毎年夏になると富士山登山をしていました。
富士吉田口ルート、須走ルートの両方やってましたね。
弾丸登山もやりました。
流石に回数を重ねると多少は工夫をするようになってきます。
この頃にはスノボウェアを着て登っていました。
でも足元は相変わらずスニーカーです。
須走下ると靴に砂が入ってシンドかったですね。
マスクをしようとか、スパッツを使うという発想がありませんでした。
というかそもそもスパッツの存在を知りませんでした。
今はスキルも知識も得てまともな楽しみ方をしていますよ〜。
立山連峰の風光明媚な景色を見たことで加速する山歩き
ある年の夏、富山県側から立山連峰に行ったことでプッツン!してしまいました。
そりゃ、あの風光明媚な景色を見てしまったのが始まりですよ。
荒涼とした富士山とは比にならないくらい青々とした立山が印象深いですね。
ここからで加速的に山に行き出すようになります。
とは言っても月1ペースでしたが。
八ヶ岳、谷川岳、雲取山、奥多摩、丹沢など関東から行きやすい場所にガンガン行くようになります。
全ては風光明媚な景色見たさから始まったことです。
このブログは “TIME IS AN EMOTION. 〜時間は感情である〜” という名前をつけています。
時間が感情というのは一瞬の出来事に秘められた感情です。
その感情はいつまでも残ります。
その感情は何によって刻み込まれたのか?というと2度と現れない一瞬の景色なんですね。
この感情を味わいたいから山へ行くんだろうなと思ってます。
そう、この一瞬の感情を味わうためにやっているのがワークアウトやカメラです。
それについて言及しているのがこのブログです。
この頃からですよ、本当の登山用具を揃え出したのは
本当に無知で酷い格好で登ってました。
チノパン、スニーカー、綿のシャツですよ。
アウターはスノボ用のウェアです。
これがビギナーだった頃の私です。
先ず手始めにサロモンのミドルカットのトレッキングシューズを購入しました
この靴は以外とよくできていて総歩行距離300kmほど歩きました。
それで指先に穴が開いたんですけどね。
ザックはモンベルのゼロポイントの65Lです。
今で言うエクスペディションパック70に相当するバッグパックですね。
収納力が素晴らしく実際のところ80Lくらいにまで拡張できました。
後は何を揃えたかな。
衣類ですね。
雨具は今でもお世話になっているストームクルーザー ジャケットを購入しました。
今ので2代目でもうボロボロです〜。
ざっと挙げてこんなものですかね。
この頃は、まだアンダーウェアの重要性に気付いていませんでしたよ。
登山靴、ザック、雨具さえあればいいやと思ってましたから。
世界4大陸のトレイルを歩く旅へ出かける
妄想ってすごいですよね。
妄想に沿って具体的に行動をすると顕在化しますよ。
お金を貯めて世界4大陸のトレイルを歩く旅に出ます。
歩いた場所をざっくりと上げると、
- 往復80kmのヒマラヤのトレッキング(カラパタール)
- パタゴニア南部から北部まで各地に点在する数十kmにも及ぶトレイル
- 4000m級の高地が続くアンデス山脈でのトレッキング
などです。
他にも6000mオーバーの登山挑戦や、小さいトレッキングを幾度となく繰り返してきました。
このトレッキング旅で一気に経験値とスキルが跳ね上がりました。
テント泊をしながら数十キロ移動するスタイルが次第に確立されていきます。
経験が蓄積されてきた証拠でしたね。
おかげで日本で5シーズンも6シーズンも登山をするよりも遥かに濃密な経験を積むことができました。
本当、バラエイティな体験をしましたよ。
風が吹くとどうなるのか?
太陽が隠れるとどんなに寒いことか?
天変地異のようにコロコロと天候が変わったらどうやって対処るすのか?
空腹になるとどうなるのか?
何を食べれば体のパフォーマンスが向上するのか?
バーナーが故障したらどうするのか?
そんなことを実践で直面し経験として蓄積されたんですよ。
そういえば、やむを得ず濁流の川から泥水を汲んで飲んだこともありましたね。
トレッキング慣れしている人たちと触れ、沢山見て、次第に適正な格好や道具というものが分かってきます。
各地に行くと日本人にほとんど会うことはありません。
ほとんどがヨーロピアンや北米から来た人間です。
彼らはアウトドア好きが多いですよ。
トレッキングの経験が豊富な人たちが沢山います。
そういう人間と接していると
- テント泊ではあーいう物を食べればいいんだな
- あの行動食は良さそうだな
なんて意識するようになってくるわけですよ。
彼らからトレッキングのノウハウを学んだと言っても過言ではありません。
て、ここまで色々な体験をしておきながらもトレッキング用のストックは持ってなかったんですよ。
最大で40kgの荷物を9時間以上も背負って歩いたこともあります。
胴体と脚力だけが頼りです。
もし、ストックを使うことを知っていたらもっと楽に歩けたでしょうね。
アホですね。
そんなのも知らなかったんですから。
帰国後に日本の山々を旅に出る前よりも歩くようになる
そういうわけで、北海道、東北、甲信越、北陸、近畿、四国などの山を渡り歩いています。
ここで更にに知見を深めるわけですよ。
そりゃ、歩いていれば目も肥えるし深く感じることもできるようになりますよね。
100名山ハントは興味がないのでやってません。
ピークすら踏まないことも多々あります。
その代わり同じ場所でも季節を変えて行きます。
全ては景色ですよ、景色。
季節によって色々な顔がありますからね。
だから飽きないんですよ。
以上となります。
が、と並行してカメラを始めるようになったんです〜。
コンデジでいいじゃん!なんて思ってましたが、一眼レフをやるようになりましたね。
初めて手にしたカメラがペンタックスK-30でした。
その半年後にはLUMIX GX7が我が家に来ました。
その後、ペンタックスK-3も使い出すようになります。
色々とスタイルの合わなさや不満な点もあり、現在はFUJIFILMのXシリーズをメイン機として使っています。
それでは。